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萬古焼とは?
萬古焼(ばんこやき)は三重県四日市市を産地とする焼物です。
1979年に伝統工芸品に認定されており、特徴でもある耐熱性を活かした土鍋は
国内シェア70〜80%とも言われる。
萬古焼の歴史
室町時代に、楽市楽座の自由商業都市として栄えた桑名の有力な回船問屋沼波家(ぬなみけ)は、
陶器専属の問屋で当時茶碗として有名だった伊勢天目(いせてんもく)を扱いました。
その沼波家の沼波弄山(ぬなみろうざん)が江戸時代に作り始めたのが萬古焼です。
屋号の萬古屋から命名した萬古、萬古不易(ばんこふえき)の名は、
いつの世までも栄える優れた焼き物という意味であり伝統は現在に受け継がれています。
しかし、古萬古(沼波弄山の頃の萬古焼)が後継者のないままに廃絶してしまいます。
三十数年後、桑名の古物商森有節(ゆうせつ)、千秋(せんしゅう)の兄弟によって、
古萬古ゆかりの朝日町小向(おぶけ)で再興されます。
兄弟の協力によって天保二年に築窯し翌年(一八三二)に開窯。
彼らの作品は、華麗な粉彩(ふんさい)による大和絵の絵付けと、
江戸時代末期の煎茶の流行とともに、煎茶に必要な急須を木型で成型する法を考案して
東海道の旅人の土産物として売り出し、大人気となり繁盛したそうです。桑名藩主もこれを保護奨励します。
明治時代には、水害で困窮した住民を救済するため、山中忠左衛門(やまなかちゅうざえもん)が私財を投げ打って、
萬古焼を地場産業に発展させます。この頃には内需は勿論、輸出も盛んとなったそうです。
そして不況に苦しみながらも大正時代には、水谷寅次郎(みずたにとらじろう)が、
長年の苦闘の挙句、石炭窯による簡単な半磁器式特殊硬質陶器を産み出します。
昭和になり、戦後には、耐熱性を向上させる技法が開発され、土鍋の生産量は国産では日本一に。
伝統的な急須などの製造技術も高い評価を受けています。
萬古焼の特徴
耐熱性に優れており、素材は陶器と磁器の両方の性質を持つ半磁器が主です。