HOME
会員登録
みんげいおくむらとは
ご利用案内
レビュー
お問い合わせ
窯名や作家名で器を選ぶ
ブランドで選ぶ(生活道具)
民藝を産地で選ぶ
素材で選ぶ
用途で選ぶ
ゲストさま、みんげい おくむらへようこそ!
ログイン
みんげい おくむら トップページ
>
エッセイ (みんげい おくむら奥村忍)
>
中国手仕事紀行の向こう側
> 中国手仕事紀行を書いた町
(原稿を書いた四川省成都のホテル。中国茶を飲みながら。)
中国手仕事紀行を書いた町
2019年の秋は国内外を慌ただしく駆け回った。
中国の福建省厦門やアメリカサンフランシスコでの展示会も入っていて、
拙著
「中国手仕事紀行」
の原稿書きも直しもあちこちでやっていた。
展示会は在店もあったので、
厦門、サンフランシスコはそれぞれ長めの滞在だったので 当然書いた。
そして、それらの旅の間に挟まった
中国四川省の買い付けの時も、
夜な夜な書いた。
10月上旬から中旬の厦門滞在は、
まだ原稿の第一発目だった。
結局ボツになった項もあったが、とにかくこの期間書きまくった。
(外資系ホテルの広い部屋に陣取り(厦門は宿が安い)、さながら作家ごっこ。)
飽きると、展示をやっているお茶のギャラリーの原色さんのところに遊びに行って、
その帰りに当分補給のためのおやつを買って帰った。
(この草餅がとてもおいしかったのにどこの店で買ったのか思い出せないでいる。痛恨の極み。)
(これはある日の朝ごはんだったはず。もちろん中国茶を飲みながら。)
厦門の定宿エリアだと、
夜に飲みに行ってしまう可能性が高かったので、
わざわざ厦門島を出て、
新しく開発されている無機質なエリアを選んだのは大正解だった。
(対岸の厦門島の夜景を見ながら、原稿書いたり厦門のクラフトビール飲んだり。)
10月の下旬は四川省の成都だった。
この時も同じく外資系のホテルに宿を取った。
なぜ外資系かと言うと、
机が大きかったり、ベッド以外にソファがあったり、
原稿書いたり休んだりするのにちょうど良い環境があるのだ。
それでいて、中国の地方都市だとまだ宿泊費が安い。
ありがたいことです。
(夜明けの成都。成都は西側の内陸だから夜明けが遅い。)
日中は目一杯買い付けやお茶探しをしていたので、
夜と朝に原稿を書いた。
この頃はもう各項の直しに入っていた気がする。
(成都の中心部ではあったけど、ちょっと微妙な位置にあるホテルだったが設備が気に入りその後も宿泊。)
11月は半ばにアメリカに。
もう原稿は佳境であった。
(サンフランシスコを中心に郊外までいろいろ動いた旅。)
猶予なく、
編集の石田エリ女史からやり直しの催促がくる。
打って打たれて、打って打たれて。
ひたすら書いて直して書いて直して。
15年ぶりぐらいのアメリカを謳歌しつつも、書いた。
この時は同行者と毎晩飲んだので主に朝。
(オークランドからの帰り道。SFは20代前半に何度も来た思い出の町である。)
(カリフォルニアのナチュラルなワインのシーンにもどっぷりと。)
アメリカは直しだったからあまり関係無いけれど、
やはり中国にいて原稿を書いていると、
書いていること、内容がよく頭に浮かんだ気がした。
自室の机で書いていたらあの本は書けなかっただろうなとは今も思う。
本を出せることが決まってからは、
中国旅の移動中に浮かんだアイディアを携帯のメモによく残していた。
原稿の書き方は作家それぞれだと思うけれど、
僕の本はこんな風にして生まれたのだった。
そんな思い出話。
現在登録されている商品はありません
(原稿を書いた四川省成都のホテル。中国茶を飲みながら。)
中国手仕事紀行を書いた町
2019年の秋は国内外を慌ただしく駆け回った。
中国の福建省厦門やアメリカサンフランシスコでの展示会も入っていて、
拙著「中国手仕事紀行」の原稿書きも直しもあちこちでやっていた。
展示会は在店もあったので、
厦門、サンフランシスコはそれぞれ長めの滞在だったので 当然書いた。
そして、それらの旅の間に挟まった
中国四川省の買い付けの時も、
夜な夜な書いた。
10月上旬から中旬の厦門滞在は、
まだ原稿の第一発目だった。
結局ボツになった項もあったが、とにかくこの期間書きまくった。
(外資系ホテルの広い部屋に陣取り(厦門は宿が安い)、さながら作家ごっこ。)
飽きると、展示をやっているお茶のギャラリーの原色さんのところに遊びに行って、
その帰りに当分補給のためのおやつを買って帰った。
(この草餅がとてもおいしかったのにどこの店で買ったのか思い出せないでいる。痛恨の極み。)
(これはある日の朝ごはんだったはず。もちろん中国茶を飲みながら。)
厦門の定宿エリアだと、
夜に飲みに行ってしまう可能性が高かったので、
わざわざ厦門島を出て、
新しく開発されている無機質なエリアを選んだのは大正解だった。
(対岸の厦門島の夜景を見ながら、原稿書いたり厦門のクラフトビール飲んだり。)
10月の下旬は四川省の成都だった。
この時も同じく外資系のホテルに宿を取った。
なぜ外資系かと言うと、
机が大きかったり、ベッド以外にソファがあったり、
原稿書いたり休んだりするのにちょうど良い環境があるのだ。
それでいて、中国の地方都市だとまだ宿泊費が安い。
ありがたいことです。
(夜明けの成都。成都は西側の内陸だから夜明けが遅い。)
日中は目一杯買い付けやお茶探しをしていたので、
夜と朝に原稿を書いた。
この頃はもう各項の直しに入っていた気がする。
(成都の中心部ではあったけど、ちょっと微妙な位置にあるホテルだったが設備が気に入りその後も宿泊。)
11月は半ばにアメリカに。
もう原稿は佳境であった。
(サンフランシスコを中心に郊外までいろいろ動いた旅。)
猶予なく、
編集の石田エリ女史からやり直しの催促がくる。
打って打たれて、打って打たれて。
ひたすら書いて直して書いて直して。
15年ぶりぐらいのアメリカを謳歌しつつも、書いた。
この時は同行者と毎晩飲んだので主に朝。
(オークランドからの帰り道。SFは20代前半に何度も来た思い出の町である。)
(カリフォルニアのナチュラルなワインのシーンにもどっぷりと。)
アメリカは直しだったからあまり関係無いけれど、
やはり中国にいて原稿を書いていると、
書いていること、内容がよく頭に浮かんだ気がした。
自室の机で書いていたらあの本は書けなかっただろうなとは今も思う。
本を出せることが決まってからは、
中国旅の移動中に浮かんだアイディアを携帯のメモによく残していた。
原稿の書き方は作家それぞれだと思うけれど、
僕の本はこんな風にして生まれたのだった。
そんな思い出話。