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松田米司工房窯出し




2020年12月 松田米司工房の窯出し



僕、奥村の同郷であり、
はるかに新世代の頼もしい写真家、松浦麻耶さんが、
北欧と日本に行ったり来たりの最中、北窯の窯出しのタイミングで沖縄に寄ってくれた。
本ページの撮影は全て松浦さんによるものです。


松田米司工房の松田健悟さんが
20台終盤のころ、
ちょうど、OIL MAGAZINEの「若者のすべて」という企画で松田健悟さんを取材してくれたのだ


リンク先の記事と、こちらのページの写真を見れば、
写真家がどのように窯出しの一日を追いかけたのかわかってもらえると思います。

同日、松田共司工房の窯出しも少し撮らせてもらっており、
それはこちらの松田共司さんのウニヌティーのページに写真を記載しています。



疫病の流行から、
2020年は春と夏の窯出しのタイミングでの沖縄行きを辞退し、
(10年通って初めてのことだった)
秋、冬の二度しか沖縄に行かなかった。
これはその冬、12月中旬の窯出しのタイミングで、

12月の窯出しと言えば、北窯含め読谷の窯元で行う「陶器市」のための窯焚きとなるのが通例なのだが、
2020年は陶器市も中止となり、僕らが通常通りうつわを分けてもらえる窯出しとなった。


そんなイレギュラーな窯出しの週、
天気はあいにくだった。


しかし上の写真のように、
雨の沖縄も良い。
緑がより濃くなり、湿気をいつも以上に含んだ空気が重く感じられるほど。
森の美しさは雨の日がダントツだ。



松田米司工房窯出し
(工房裏手へ向かう松田米司さん。常に穏やかな人柄は訪れる皆を魅了する。)



ふだん窯出しの日は朝イチから登り窯に各工房が集まって、
それぞれが焚いた部屋の入り口を壊し(煉瓦と土で入口を埋めている)、
うつわを徐々に取り出していく。
雨ではあったが、一日の流れはいつもと同じ。


松田米司工房窯出し
(松田米司さんの長男、松田健悟さん。北窯を背負って立つ次代の陶工。)



午前中いっぱいあれば、だいたいのうつわを取り出すことができる。



松田米司工房窯出し
(雨をよけるように窯の軒下に置かれた尺皿とマカイ。良い色にあがっている。)



工房と窯との行ったり来たりがひと段落したあたりで、
工房のいつもの場所にみんなが座り、
親方の話を聞いた。



北窯設立の頃




工房でのゆんたく。
この日はなんと、米司さんが北窯設立の頃のアルバムを見せてくれた。

四人の親方の約30年前。
松田兄弟はフォーク歌手のような風体で、
宮城さんは筋肉の塊でレスラーかと思うほどで、
與那原さんはヒッピーのよう。

30代の夢に溢れた青年陶工たちの写真はどれも輝きに満ちている。



松田米司工房窯出し
(奥に米司さん、左に奥村、右は健悟さん)



この四人組が役場へいろんな交渉ごとに行ったり、
村の人たちの助けを借りてこの場所、この窯を作り上げたのか、
とグッとくる写真ばかりだった。


松田米司工房窯出し



それにしてもよく撮っていたものだ。
素晴らしい記録。


設立から30年弱、
多くの器と、それから多くの弟子を輩出してきた北窯。



昔話をまとまって聞くことはなかなか無いので、
窯出しの慌ただしい一日ではあったけれども、大変ありがたい一日でした。




(本ページの撮影:松浦麻耶)