HOME
会員登録
みんげいおくむらとは
ご利用案内
レビュー
お問い合わせ
窯名や作家名で器を選ぶ
ブランドで選ぶ(生活道具)
民藝を産地で選ぶ
素材で選ぶ
用途で選ぶ
ゲストさま、みんげい おくむらへようこそ!
ログイン
みんげい おくむら トップページ
>
民藝に関する読み物
> 2017年初冬 コーカサスの手仕事を求めて(Vol.1)
2017年初冬 コーカサスの手仕事を求めて。
2017年初冬、コーカサス地方を旅した。
多くの人にとって馴染みのない土地。
アルメニア、ジョージア(旧グルジア)、
そして未承認国家アルツァフ共和国(旧ナゴルノカラバフ共和国)の3カ国。
文化、民族の十字路と言われるこれらの土地。
ヨーロッパでも、ロシアでも、中東でも、アジアでもあり、でもない。
人も文化も混ざり混ざった不思議な土地。主にアジアをフィールドとする僕にとっては、ここはキワのキワ。
僕自身、ここ数年中国や台湾にべったりだったので、少し違った角度からアジアを眺めてみたかった。
珍しいことに、この旅には相棒がいる。
写真家、在本彌生(ありもとやよい)。
二十台半ばの頃、僕の旅は雑誌「NEUTRAL」に大きな影響を受けた。
どこか怪しく、美しい彼女の写真は誌面でいつも輝いていた。
世界中を旅している写真家と旅をする。
僕か、彼女か、どちらかの得意な場所も面白いと思ったが、お互いに空白の場所を選べばさらに面白いはず。
僕個人にとっての思惑と、二人の旅の思惑が、我々をコーカサスへと誘った。
これらの土地の手仕事と言えば、絨毯だ。
日本ではイランやトルコの絨毯は知名度が高いが、
隣接するこれらの国々も絨毯の歴史は古く、そして世界中に愛好家がいる。
古いもの、今も作られているもの。どちらも興味がある。
絨毯を軸に旅を進めていくことが決まった。
11月23日。成田からポーランドのワルシャワを経て、アルメニアのエレバン(YEREVAN)へ。
12日間のコーカサスの旅。
長い移動とワルシャワの寒さでひどく疲れていた我々に、追い討ちのようなエレバンへの乗り継ぎ便の大幅な遅延。
ワルシャワの空港は我々の搭乗ゲート以外は真っ暗になり、のっけから旅の先行きに暗雲が立ち込めた。
やっとこ乗り込んだ小さな飛行機は、驚くほど小さいエレバンの国際空港に降り立った。
まだ真っ暗の闇の中、エレバンの町へ向かう。
ホテルにチェックインした頃、町が明るくなった。
昼前くらいから町を散策しよう、と言いそれぞれの部屋へ。
シャワーを浴びて、ベッドに横たわる。ぐったりしているはずなのに、ほぼ寝られなかった。
ボーッと窓の外を眺めていたら、なんとなく良い旅になりそうな予感がした。
旅を振り返ってふと思い出すのは、厳しい冬を迎える直前の少し張り詰めた空気。
毎朝寒かったが、よく散歩をした。
石畳の町が多く、朝は冷えた。
吐く息は白いけれど、見上げれば黄色く色づいたプラタナスが町を染める。
アジア人が珍しいのか、どこの町でも好奇の目で見られるのはどこか新鮮で、
自分がスッと馴染んで入り込むような東アジアの国々とはやっぱり別の場所にやってきたんだ、
と気づかされるのと同時に、それがどこか心地よく、自分が解き放たれたようなそんな感覚があった。
世界のワインの発祥の地と言われるアルメニアワイン。
固有種ばかりで全く名前を覚えきらない。
自然派ワイン界で世界中から注目のグルジアのオレンジワイン。
どちらも僕らが想像するワインではない。
たまたま葡萄酒だからワインと呼ばれるだけで、個性溢れる地酒だった。
食事は、必ず塩辛いチーズ。
薄くて、数ヶ月も保存が効くという伝統のパン、ラバシュ。
それを焼く窯・おばちゃん。印象的だった。
豊かな土地ではないので、野菜は漬物に、果物は乾燥させるか、こってり甘いジャム。
厳しい冬を過ごす知恵。行く先々で伝統の食を大事にする人たちに出会った。
そしてその周りには良い手仕事がまだ残っていた。
アルメニアは世界で初めてキリスト教を国教とした国。
その教会、宗教建築を見て回る人がいるほど豊かなキリスト教文化がある。
各地の石造りの教会・修道院はそれ自体が見事で、圧巻だ。
建築物は売り物にはならないが、まぎれもない民藝の一つの形であろうと思う。
すれ違う車はかなりの割合でソビエト製だ。
LADA社の古いものが特に多い。
角ばっていて、小さくて、屈強な男たちが乗るには随分窮屈なのだが、随分愛らしい車。
町にはソビエト時代の集合住宅が今もたくさん残り、使われている。
アルメニアは1991年までソビエトだったのだ。コーカサスにはソビエトの影が色濃い。
羊毛の絨毯はと言うと、暖かいという機能のみにあらず、壁を飾るアートでもあった。
古くは売り物としてではない。家族のためのものとして。
インターネット以前、いやテレビ以前、当たり前だが人の持つ情報は見たこと、聞いたこと。
そして想像すること。
300万人ほどの人口のアルメニア。
広い国土は多くが手付かずだ。
100年以上前の絨毯を織った人たちもこの景色を見て、こんな食事をしていたはずだ。
絨毯の柄、色、それらからそう感じ取ることができる。
そんなわけで、派手さはないがどこか愛おしい絨毯。
それがコーカサス、アルメニアやアルツァフ、ジョージアの絨毯の印象だ。
それらを追い求めながら、その周辺にある手仕事もいくらか買い付けてきた。
旅が終わり、結局コーカサスはヨーロッパなのか。
アジアなのか。中東なのか。
考えてもみたが、無理にカテゴライズする必要もないのかもしれない。
やはり文化と歴史が混ざり合った独特の場所なのだ。
在本彌生がフィルムカメラで切り取った今のコーカサスの姿と共に、
手仕事にまつわるストーリーをここに紡いでいく。
文章:奥村忍(みんげい おくむら) / 写真:在本彌生
2 件中 1-2 件表示
アルメニアのレース細工(Vol.2)
アルメニアの木工(Vol.3)
2 件中 1-2 件表示
2017年初冬 コーカサスの手仕事を求めて。
2017年初冬、コーカサス地方を旅した。
多くの人にとって馴染みのない土地。
アルメニア、ジョージア(旧グルジア)、
そして未承認国家アルツァフ共和国(旧ナゴルノカラバフ共和国)の3カ国。
文化、民族の十字路と言われるこれらの土地。
ヨーロッパでも、ロシアでも、中東でも、アジアでもあり、でもない。
人も文化も混ざり混ざった不思議な土地。主にアジアをフィールドとする僕にとっては、ここはキワのキワ。
僕自身、ここ数年中国や台湾にべったりだったので、少し違った角度からアジアを眺めてみたかった。
珍しいことに、この旅には相棒がいる。
写真家、在本彌生(ありもとやよい)。
二十台半ばの頃、僕の旅は雑誌「NEUTRAL」に大きな影響を受けた。
どこか怪しく、美しい彼女の写真は誌面でいつも輝いていた。
世界中を旅している写真家と旅をする。
僕か、彼女か、どちらかの得意な場所も面白いと思ったが、お互いに空白の場所を選べばさらに面白いはず。
僕個人にとっての思惑と、二人の旅の思惑が、我々をコーカサスへと誘った。
これらの土地の手仕事と言えば、絨毯だ。
日本ではイランやトルコの絨毯は知名度が高いが、
隣接するこれらの国々も絨毯の歴史は古く、そして世界中に愛好家がいる。
古いもの、今も作られているもの。どちらも興味がある。
絨毯を軸に旅を進めていくことが決まった。
11月23日。成田からポーランドのワルシャワを経て、アルメニアのエレバン(YEREVAN)へ。
12日間のコーカサスの旅。
長い移動とワルシャワの寒さでひどく疲れていた我々に、追い討ちのようなエレバンへの乗り継ぎ便の大幅な遅延。
ワルシャワの空港は我々の搭乗ゲート以外は真っ暗になり、のっけから旅の先行きに暗雲が立ち込めた。
やっとこ乗り込んだ小さな飛行機は、驚くほど小さいエレバンの国際空港に降り立った。
まだ真っ暗の闇の中、エレバンの町へ向かう。
ホテルにチェックインした頃、町が明るくなった。
昼前くらいから町を散策しよう、と言いそれぞれの部屋へ。
シャワーを浴びて、ベッドに横たわる。ぐったりしているはずなのに、ほぼ寝られなかった。
ボーッと窓の外を眺めていたら、なんとなく良い旅になりそうな予感がした。
旅を振り返ってふと思い出すのは、厳しい冬を迎える直前の少し張り詰めた空気。
毎朝寒かったが、よく散歩をした。
石畳の町が多く、朝は冷えた。
吐く息は白いけれど、見上げれば黄色く色づいたプラタナスが町を染める。
アジア人が珍しいのか、どこの町でも好奇の目で見られるのはどこか新鮮で、
自分がスッと馴染んで入り込むような東アジアの国々とはやっぱり別の場所にやってきたんだ、
と気づかされるのと同時に、それがどこか心地よく、自分が解き放たれたようなそんな感覚があった。
世界のワインの発祥の地と言われるアルメニアワイン。
固有種ばかりで全く名前を覚えきらない。
自然派ワイン界で世界中から注目のグルジアのオレンジワイン。
どちらも僕らが想像するワインではない。
たまたま葡萄酒だからワインと呼ばれるだけで、個性溢れる地酒だった。
食事は、必ず塩辛いチーズ。
薄くて、数ヶ月も保存が効くという伝統のパン、ラバシュ。
それを焼く窯・おばちゃん。印象的だった。
豊かな土地ではないので、野菜は漬物に、果物は乾燥させるか、こってり甘いジャム。
厳しい冬を過ごす知恵。行く先々で伝統の食を大事にする人たちに出会った。
そしてその周りには良い手仕事がまだ残っていた。
アルメニアは世界で初めてキリスト教を国教とした国。
その教会、宗教建築を見て回る人がいるほど豊かなキリスト教文化がある。
各地の石造りの教会・修道院はそれ自体が見事で、圧巻だ。
建築物は売り物にはならないが、まぎれもない民藝の一つの形であろうと思う。
すれ違う車はかなりの割合でソビエト製だ。
LADA社の古いものが特に多い。
角ばっていて、小さくて、屈強な男たちが乗るには随分窮屈なのだが、随分愛らしい車。
町にはソビエト時代の集合住宅が今もたくさん残り、使われている。
アルメニアは1991年までソビエトだったのだ。コーカサスにはソビエトの影が色濃い。
羊毛の絨毯はと言うと、暖かいという機能のみにあらず、壁を飾るアートでもあった。
古くは売り物としてではない。家族のためのものとして。
インターネット以前、いやテレビ以前、当たり前だが人の持つ情報は見たこと、聞いたこと。
そして想像すること。
300万人ほどの人口のアルメニア。
広い国土は多くが手付かずだ。
100年以上前の絨毯を織った人たちもこの景色を見て、こんな食事をしていたはずだ。
絨毯の柄、色、それらからそう感じ取ることができる。
そんなわけで、派手さはないがどこか愛おしい絨毯。
それがコーカサス、アルメニアやアルツァフ、ジョージアの絨毯の印象だ。
それらを追い求めながら、その周辺にある手仕事もいくらか買い付けてきた。
旅が終わり、結局コーカサスはヨーロッパなのか。
アジアなのか。中東なのか。
考えてもみたが、無理にカテゴライズする必要もないのかもしれない。
やはり文化と歴史が混ざり合った独特の場所なのだ。
在本彌生がフィルムカメラで切り取った今のコーカサスの姿と共に、
手仕事にまつわるストーリーをここに紡いでいく。
文章:奥村忍(みんげい おくむら) / 写真:在本彌生