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中国 吉林省 缸窯(ガンヤオ)
私奥村は、
民藝先人達の訪問から80余年、
中国東北の名窯を2025年冬に初めて訪れることができました。
2018年初頭に初めて訪れようとするも、
そもそも窯がまだ存在するのか、
どんな交通手段で行けば良いのか、
まったく情報無く、行くことが出来なかった。
満を持して、とは言えないものの、
2025年初訪問の機会を得た。
そのことはいつか「中国手仕事紀行」の東北編にまとめたいが、
まず先にここに記しておく。
以下、外村吉之助「北京・満州民芸紀行」(絶版)を引用しながら
2025年の情報を加えていく。
外村らは第二次世界大戦の最中、当時の満州国へ民藝調査へ向かう。
昭和18年 1943年
満蒙民芸品の調査と蒐集、満州民藝館の建設、開拓民の生活容疑の製産指導を目的に。
主催者は日本民藝協会。
参加者は、上田恒次、上野訓次、河井武一、式場隆三郎、外村吉之介、浜田庄司、村岡景夫、吉田璋也。
(その前年の調査では日本民藝協会から杉岡泰が派遣されている。)
8/12に日本を発った一団は、
満州各地を経て、
9/2に吉林省の缸窯(ガンヤオ・日本名にするなら”こうがま”)へ。
8時の汽車で吉林から出発。
2025年の世界では、
吉林の中心部から1hのライドシェアで缸窯へ。
(2025年の吉林市。吉林省第二の都市として、省都の長春に次ぐ規模で、市区人口は120万人を超える。)
現在は線路はあり貨物列車は通っているが客車はない。
1943年チームは前窯という名の駅で降りる。
(駅自体は今もあり、貨物で使われているよう)
南方から来た漢民族がここに窯を作り、
前窯からだんだん缸窯村の方へと仕事場を広げたと考えられている。
11時に缸窯駅に到着。(こちらも今は同じく貨物駅)
「すぐに路の両側が、傷物の大甕を積み上げた垣の延々と続く状におどろかされた」
とある。
それは今も変わらない景色である。
「琉球の壺屋のように美しい活きた焼物の村であり、彼よりも規模更に大きく壮んである。しかも和やかに美しい。」と続く。
昭和18年ごろは60機の倒炎式の窯があったそうで(当然ながら薪窯)、
窯は大きく(例えば直径四間ほど)、
作られるものも大物が多かったと言う。
外村の本に書かれたスケッチの扁壺や徳利(スケッチは手付きだが私が見たものは手無し)も
まだ少しばかり東北では見ることができるものだ。
「琉球では仕事場に、土を練ったり、釉掛けをする女子を見かけたけれども、
此処ではそれが一人もない。だから余計に荒い男の体一杯に見えるのである」
その景色をして浜田庄司は、
「大したもんだ。世界一だ。」と賛嘆して止まなかったそうである。
-20度をゆうに超える冬はどうしているのかといえば、
秋までに作り込み、冬の間に窯焚きをするという。
大甕(缸)は高さ三尺(90cm)以上で、
水や漬物の保存に使われる日常のもので、
他にも、
油を入れる瓶や植木鉢、四・五寸ほどの壺や徳利、酒の燗付け用の道具、
便器、などを生産していたようだ。
(浜田達も見たであろう、当時のものと思われる大きな甕類。)
満州全体に言えるが、
いわゆる皿はほとんど見られなかったようだ。
(碗の類はある。食事全てを碗でまかなっていたのであろう)
窯焚きはある窯では22日間。
13日間冷まし、
4日間風を通して、
その後、窯出し。
火を入れて実に40日後だと言う。
「満州には瓦器類のように、地面を僅かに掘って器を置き、
柴や草をかけて火を付け、十五分間で焼き上げる焼き物があるかと思うと、
此処のように四十日の物があるが、双方共粗く強い。そして素晴らしい上りである。」
流通は吉林省一円から、
牡丹江、ハルビン、緩化、チチハル四平街にまで及んでいたそう。
村の景色(家の中なども含め)も良く、
「外に出て村の中を歩けば歩くほど、美しい陶郷の景観が展けて、
どの角度からも歓声を挙げないでは居られない。」とある。
(2025年の町の中心部。)
(近年最大の製陶工場。80m,60mのトンネル窯を持っていたとされ、その煙突が残る。)
私は、ライドシェアで1時間で町に着き、
3時間ほど歩き回った。
幸い最盛期の町の地図があったので、
大きそうな窯場跡から順に見て回ったが、
敷地が残っていても、窯自体は全く残っておらず、
町で出会った人たちに窯跡のことを聞いたが、
窯自体はもう残っていないという。
後半1時間はかなり町の外れを歩き、
野犬が怖いぐらいの場所、
畑仕事をしていた人に、なぜこんなところを歩いているんだと聞かれ、
ここの窯跡を見たいのだと地図を見せると、
全くそれはわからない風だった。
しかし、
家の垣根に残る焼き物や、
古い焼き物を持っている人に見せてもらったそれらは、
80年の変化を想像するには充分すぎるものであった。
手仕事から量産へと変遷し、
最後はさらに大きな産地に取ってかわられたこの産地、
現存するのは家族経営ぐらいの甕を作る工房が2つだった。
いずれも型で作り、ケミカルな釉薬に、ガス窯焼成。
いかにも量産の窯の品で、味気の無いものだった。
80年という時。
たった3代ほどの間にこれだけの変化がある。
我々が現代見ている民藝の産地の焼き物というのが、
どれだけ細かく変化があれど、
大きな目で見ると、
この形が、このやり方が残っていることは奇跡なのだと思わされた。
吉林省には、今もガンヤオの焼き物が少々残っている。
これからも行くたびに少しずつ蒐集していきたい。
窯跡でぼんやりしていると、
外村や浜田と初めて会ったような、そんな気持ちにもなった。
店を初めて15年。
本当に初めて民藝先人達と交わりを持てたような時間であった。
(吉林市の町の中心部でたまたま出会った青空骨董市。マイナスの気温でも行われるのだ。)
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