みんげい おくむら トップページ > 窯名や作家名で器を選ぶ > 読谷北窯(松田米司・松田共司・宮城正享) > 作り手で選ぶ(読谷北窯・やちむん) > 松田米司(まつだよねし) > 松田米司 魚文大皿
1 件中 1-1 件表示
0円(税込)
完売しました
北窯 松田米司さんの魚文大皿
みんげい おくむらが14周年を迎え、
15年目に迎っていくにあたって、
何かやってみたいなと思っていました。
そんな時、当店の開店間もない頃を思い出しました。
ネットの販売はダメ。
とか言う方もいる中、
当時北窯との取引を希望した僕に優しい声を掛けてくれたのは松田米司さん、その人でした。
(2024年最初の窯出しから。松田米司さんは2024年12月に70歳を迎える。)
開店からそう経たないうちに、
幸運にも松田米司さんの魚紋の尺皿がお店に入荷しました。
すぐに売れてしまったのだけど、
その写真をwebで見た別の人から、北窯に問い合わせがいったと米司さんからその後聞いた。
作って欲しいというのである。
確かにあの一枚は自分に取っておいても良かったかなぁと思う一枚ではあって、
それはそれは良かった。
(北窯の売店横。いつもここの景色が楽しみである。)
もちろんそれがどうしても欲しいということもあるのだろうけれど、
たぶん前に作った一枚を模して作ってくれという一枚はちょっと気持ちが違うだろうな、とも思う。
そんなこともあって、 一枚のうつわというのは自分にいろんなことを考えさせてくれるものだ。
そして、 米司さんの魚文の大皿というのは、
どこか自分の心どこかにずっとあるもので、それはなんというか、
自分でも持っていたいし、とにかくいろんな人に見てもらいたい。
そういう気持ちだった。
金城次郎さんという偉大な沖縄の作り手の魚文も良いのだけれど、
僕は今、松田米司の魚文を世の中に見せたいのだ。
金城次郎さんの魚文があまりにも有名で偉大ゆえに、
かつては「なんでお前なんかが魚文をやる?」と言われたこともあったそうだ。
しかし、赤絵や、魚文、ちょっと創作的なもの、
松田米司さんは自由に表現をしていた。
本人はそうした他所の声は耳には入るものの、あまり気にしないそうで、
その心の強さもとても好きだ。
恐れることなく、何かを創作し、発信する。
とてつもなくカッコ良い親方なのだ。
この人の作陶はいったいどこまでいくのだろうか。
いつも北窯に行くたびに、窯出しが楽しみで仕方なかった。
(魚文も愛らしいが、沖縄に行ったら古民家の漆喰シーサーを見て歩きたい。これも愛嬌の塊のようなものだ。)
そこに転機が訪れたのは、
米司さんが倒れてしまったことだ。
2016年、米司さん共司さんのいつもの岡山での展示会の直前だった。
無敵かと思っていた松田米司さんにも病がやってきた。
自分がお店を持って以来、お付き合いのあった方が大怪我や大病、
または亡くなってしまったということもあったが、
僕がお店を始めるきっかけをくれたような米司さんが倒れたというのはショックが大きかった。
しかし、倒れたタイミングや運ばれた病院、いろんな幸運もあり、
また本人の力も当然ながらあって、
松田米司は作陶を再開する。
現在、工房を任される息子の健悟さんの成長もあり、
それ以前とは少し米司さんの工房におけるポジションも変わり、
個人作に関して言えば、
2024年現在、
かなり伸び伸びとして、以前とはまた別の良さを持つものとなった気がする。
2023年に、意を決して米司さんに魚文をお願いした。
ドキドキした。
数は問わない。
でもできたらたっぷりあったらいいかな、と。
快諾してくれた。
そして予定より遅れはしたのだけど、
(苦笑いしかなかった)
今の米司さんを伝えるには充分な量、内容が集まった。
みんげい おくむらを開店から支えてくれた北窯の親方たち。
特に取引のお願い以来、何かと目をかけてくれた米司さんの、
15枚の大皿をもって、
みんげい おくむらは15年目を軽やかに駆け抜けていきたい。
(2枚はこれからの沖縄の焼き物のため、私が保管し、機会あるごとにどこかで見せていきたい)
そんな気持ちです。
北窯 松田米司さんの魚文大皿 商品一覧