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出会いとタイミング
ベトナムの髭男
もそうだった。
買い付けは出会いとタイミング。
そんなことを実感する出来事はフィリピンでもあった。
2017年の10月、初めてフィリピンに飛んだ。
これがそもそも前向きな理由ではなかった。
自分の中の、アジアの回りたい国の中でフィリピンは上位にあるとは言えなかった。
しかし、その年の夏にデルタアメックスのカードを作り、
ビジネスクラスで航空券を取得すれば大量にマイルがもらえるキャンペーンがあったのだ。
デルタはマイルのアライアンスがスカイチームで、
このカードさえ維持していれば(現在は条件が違う)、上級会員ステータスがもらえたのだ。
スカイチームは、中国東方航空、中国南方航空(現在は脱退)、厦門航空、ベトナム航空、チャイナエアラインなど
僕がよく使う航空会社ばかりだったから、これは結構重要なことだった。
そこで、
デルタの路線図を眺め、
フィリピンに的を絞ったのだった。
(デルタの路線の中で距離が短いので運賃が安いというのも大きな理由だったが)
2017年当時はデルタの日本の拠点が成田で(現在は羽田)、
アジア路線が数本あった(現在はない)。
それであれば、かねてから見たかった
ピーニャ
を。
と、その先のフィリピンの国内移動用の国内線航空券も取得し、
フィリピンへ旅立ったのだった。
一週間の旅程の前半はパナイ島でピーニャを見ること。
到着初日は夜便だったので空港至近に泊まり、
翌朝島へ。
数日を過ごして、ルソン島に戻り、
いよいよマニラ。
マニラは想像以上に町が大きく都会で、
そして聞いていた通りの渋滞地獄だった。
金融や会社などが集まる大都会マカティの町外れの
喧騒からちょっとだけ離れたエリアに、
古民家を改装した気の良い宿があった。
このページの最初の写真も宿の内部で、
センスが良いでしょう。
従業員は私服のおばちゃんで、
なんというか、民宿のようだった。
(良い意味で。)
早速町に出て、
行ってみたかった骨董屋Maria Closaへ。
今(2024年)はGrabですぐに車を呼べるが、
2017年はまだGrabも浸透しておらず、メータータクシーを捕まえての移動だった。
Maria Closaはフィリピンのピンの骨董を扱うお店で(ピンキリのピン)、
面白いことにフィリピンのコンテンポラリーアートを紹介するギャラリーでもあった。
その選品と展示には度肝を抜かれた。
マニラの他の骨董屋とは別格であった。
その日はスタッフの人と少し話し、
古いアバカの布を購入し、宿に戻った。
翌日、宿に宿のオーナーがいたから、
僕の仕事の内容を説明し、
前日にMaria Closaに行ったよ。と言ったら、
なんと彼はオーナーのMariaと友人だったのだ。
通りでこの宿もセンスが良いわけだ。
(壁面にはイフガオ族のウッドボウルもあった。この感じ、好き。)
しかも、宿とMaria Closaの間にある、
ペニンシュラホテルで今マニラの骨董の展示会をやっているから、
連れてってあげると。と。
その場で展示会に出ているMariaにも話をつけてくれ、
もう展示会が最終日で終了する時間になっていたにもかかわらず、
大急ぎで宿のオーナーの車でペニンシュラに向かった。
(ある昼のペニンシュラ。ちょっと古びているが内部はさすが。宿泊してなくても立ち寄れるBARも良い。)
最終入場時間を過ぎていたが、
警備員さんに話をつけて、
大急ぎで片付け中の各ブースを眺め、Mariaに会った。
物腰の柔らかい、しかし眼光鋭い女性で、
なるほど納得であった。
次回来たら、またお店に行きます。
と約束し、その日は大満足で夜のマカティを歩き、
宿に戻った。
あれから六年。
コロナを経て、2023年の10月にやっとフィリピンに帰ってきた。
Maria Closaは閉店し、
宿もオーナーが変わってしまっていた。
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出会いとタイミング
ベトナムの髭男もそうだった。
買い付けは出会いとタイミング。
そんなことを実感する出来事はフィリピンでもあった。
2017年の10月、初めてフィリピンに飛んだ。
これがそもそも前向きな理由ではなかった。
自分の中の、アジアの回りたい国の中でフィリピンは上位にあるとは言えなかった。
しかし、その年の夏にデルタアメックスのカードを作り、
ビジネスクラスで航空券を取得すれば大量にマイルがもらえるキャンペーンがあったのだ。
デルタはマイルのアライアンスがスカイチームで、
このカードさえ維持していれば(現在は条件が違う)、上級会員ステータスがもらえたのだ。
スカイチームは、中国東方航空、中国南方航空(現在は脱退)、厦門航空、ベトナム航空、チャイナエアラインなど
僕がよく使う航空会社ばかりだったから、これは結構重要なことだった。
そこで、
デルタの路線図を眺め、
フィリピンに的を絞ったのだった。
(デルタの路線の中で距離が短いので運賃が安いというのも大きな理由だったが)
2017年当時はデルタの日本の拠点が成田で(現在は羽田)、
アジア路線が数本あった(現在はない)。
それであれば、かねてから見たかったピーニャを。
と、その先のフィリピンの国内移動用の国内線航空券も取得し、
フィリピンへ旅立ったのだった。
一週間の旅程の前半はパナイ島でピーニャを見ること。
到着初日は夜便だったので空港至近に泊まり、
翌朝島へ。
数日を過ごして、ルソン島に戻り、
いよいよマニラ。
マニラは想像以上に町が大きく都会で、
そして聞いていた通りの渋滞地獄だった。
金融や会社などが集まる大都会マカティの町外れの
喧騒からちょっとだけ離れたエリアに、
古民家を改装した気の良い宿があった。
このページの最初の写真も宿の内部で、
センスが良いでしょう。
従業員は私服のおばちゃんで、
なんというか、民宿のようだった。
(良い意味で。)
早速町に出て、
行ってみたかった骨董屋Maria Closaへ。
今(2024年)はGrabですぐに車を呼べるが、
2017年はまだGrabも浸透しておらず、メータータクシーを捕まえての移動だった。
Maria Closaはフィリピンのピンの骨董を扱うお店で(ピンキリのピン)、
面白いことにフィリピンのコンテンポラリーアートを紹介するギャラリーでもあった。
その選品と展示には度肝を抜かれた。
マニラの他の骨董屋とは別格であった。
その日はスタッフの人と少し話し、
古いアバカの布を購入し、宿に戻った。
翌日、宿に宿のオーナーがいたから、
僕の仕事の内容を説明し、
前日にMaria Closaに行ったよ。と言ったら、
なんと彼はオーナーのMariaと友人だったのだ。
通りでこの宿もセンスが良いわけだ。
(壁面にはイフガオ族のウッドボウルもあった。この感じ、好き。)
しかも、宿とMaria Closaの間にある、
ペニンシュラホテルで今マニラの骨董の展示会をやっているから、
連れてってあげると。と。
その場で展示会に出ているMariaにも話をつけてくれ、
もう展示会が最終日で終了する時間になっていたにもかかわらず、
大急ぎで宿のオーナーの車でペニンシュラに向かった。
(ある昼のペニンシュラ。ちょっと古びているが内部はさすが。宿泊してなくても立ち寄れるBARも良い。)
最終入場時間を過ぎていたが、
警備員さんに話をつけて、
大急ぎで片付け中の各ブースを眺め、Mariaに会った。
物腰の柔らかい、しかし眼光鋭い女性で、
なるほど納得であった。
次回来たら、またお店に行きます。
と約束し、その日は大満足で夜のマカティを歩き、
宿に戻った。
あれから六年。
コロナを経て、2023年の10月にやっとフィリピンに帰ってきた。
Maria Closaは閉店し、
宿もオーナーが変わってしまっていた。