民藝のガラス食器の販売。琉球ガラスの奥原硝子製造所を取り扱っております。
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民藝のガラス
ガラスは夏のもの、と勝手に決めつけてしまいそうな私たちですが、
北欧では、冬に光を取り込み、明るさと暖かみを演出してくれるものとして
古くから親しまれています。
日本の一般の人たちがガラスを知ったのは、室町時代から後で、
ビードロ(ポルトガル語)やギヤマン(オランダ語)の名で、
珍しく眺めるものばかりでした。
薩摩の殿様島津公がガラス工場を建てて作らせたものも、眺める物ばかりだったのです。
それが明治時代になってから、生活用品の産業として、
石油ランプ、薬瓶、牛乳瓶、一升瓶、コップなどを人間の息で吹いて無数に作りましたが、
やがて機械製になってしまいました。
(沖縄、奥原硝子製造所の定番コップ。径も高さも少しぶれもあるけれど美しい日々の道具。)
機械製のガラスは、コップでわかるように、薄くてあぶなくて、
心まで冷たくなるようなものが多いです。
今、手しごとで、作家としてではなく、ブランドとしてでもなく、
活動しているガラス工場は全国でも数少なくなっています。
その中では比較的に沖縄に元気な工場が残っていますので、「みんげい おくむら」では、
沖縄の琉球ガラスを中心にセレクトしています。
また、沖縄で学び、福岡で作る。太田潤手吹きガラス工房のものも取り扱っています。
琉球ガラスとは
沖縄で作られる、太平洋戦争後の資源難のため、
アメリカ軍基地で捨てられたコーラやビールの空き瓶を溶かして再生したことから始まる品を
「琉球ガラス」と呼び、これが琉球ガラスの歴史の始まりです。
戦後、アメリカ兵が捨てたコーラなどの空き瓶から生まれた再生ガラスは、
厚味があり、ガラスの中に気泡が混じっていました。
本来ならば不良品扱いとなる気泡も、
琉球ガラスの特徴として活かし、原料ガラスを使う工房が増えた今日でも、素朴な味わいとして受け継がれています。
また、ガラス工場が戦後に復興したのは、戦前から作っていた人たちや、疎開先から引き上げて来た
ガラス職人たちが、本土からの技法を取り入れ生産をはじめたからです。
昭和47年以前(本土復帰前)のガラス製品はその生産の60%を米国に、
20%を本土に輸出し、残りの20%が島内で販売されましたが、顧客のほとんどが
米国駐留軍人だったそうです。
このことからもわかるように、製品はすべて米国人の生活様式と好みに合わせてつくられ、
パンチボールセット・サラダボール・ドレッシング用の瓶・ワイングラス・シャンペングラスなどは現在まで
引き続いて生産され続けています。
現在は、原料としては、泡盛の瓶などをリサイクルするのが主流のようです。
奥原硝子製造所の代名詞とも言える「ライトラムネ」色は上の写真のように窓ガラスを砕いたものが原料です。
ただし、沖縄県内に数多く存在するガラス工房の中で、今もってこのようなリサイクルガラスを
生産しているのはごくごく少数の工房になります。
琉球ガラスの特徴
再生ガラスの特徴は、固く、冷めやすいこと。
冷めやすいというのは、ガラスの生産には重要で、同じ時間でそれだけ数を多く作れる
ということを意味しています。
また、琉球ガラスの基本的な技法は吹きガラス法で、
「宙吹き法」と「型吹き法」があります。
吹きガラス法は、紀元前1世紀中頃、シリア地方で発明された技法で、
それまで技術的に難しかったガラスの大量生産化を可能にした画期的な技法として、世界中に広まりました。
沖縄においても戦前、戦後、そして今日いたるまで受け継がれている成形法です。
こうして、沖縄には機械に頼らず、暖かみのあるガラス製品が
手しごとである程度の数生産できる土壌が整っているのです。
まさに、現代の民藝と呼べる沖縄の素晴らしい手しごとです。
→琉球ガラスについてはこちらからより詳しくご覧頂けます。
民藝のガラス 商品一覧