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おちょこ
(蕎麦茶屋が宿泊をやっていたころの、朝ご飯。写真の外にまだ焼き魚とご飯がある。ボリュームたっぷり。)


小鹿田で初めて酒を飲んだ夜



呆れられることもしばしばあるが、
窯元への訪問はできるだけ公共交通機関にしている。


呆れられる、というのは、
だいたい窯場が公共交通機関では行きにくい場所にあるから、
なんでレンタカーで来なかったのか、と言われることが多い。


小鹿田もそんな場所で、一日2、3本日田の町からバスが出ているが、
時間は掛かるし、
利用者は極めて少ない。


まだ小鹿田に行き始めたばかりのころ、
そうやってバスでたどり着いて、
蕎麦茶屋に泊まっていた。
(当時はまだ蕎麦茶屋が民宿を兼ねていたのだ)


おちょこ
(バスで小鹿田に行くと、降りたところからまず目に飛び込むのはこの景色。)



日中は窯を訪ねて、一軒ずつ見てまわり、
ゆっくりと話をする。

おちょこ
(蕎麦茶屋に泊まると夜と朝ご飯の面倒をみてもらうのだけど、昼も小鹿田にいるなら結局昼も蕎麦茶屋でご飯を食べる。)



夜は唐臼の音を聞きながら眠るのだ。
当然ながら夜の間もずっと唐臼が鳴り続ける。
この集落の生活の音なのだと改めて驚いたり。



お付き合いを始めたばかりだった、柳瀬朝夫窯の朝夫さんが、
僕が蕎麦茶屋に泊まると聞いたら、
一緒に飲もうと言ってくれた。
あとで蕎麦茶屋に行くからね、と。


小鹿田の伝説的陶工とサシで飲んでしまうのか。
と思うとものすごく緊張したし、
実際のところは訛りの強い朝夫さんと話が噛み合うのかどうか、
そんなことも心配であった。


夜、僕は蕎麦茶屋に二食込みで宿泊をお願いしていたのだけど、
朝夫さんがやってきて飲むことになりましたと伝えると、
じゃあ適当にやりましょう、とそんな感じで、
えらくスムーズに事が運んだのにも驚いた。


その晩は、地区の消防やら、
小鹿田の組合の何かやら、
当主たちも忙しいと聞いていたが、

僕が蕎麦茶屋にいると知っていた何軒かの当主が
用事の後にわざわざ蕎麦茶屋を訪ねてきてくれた。


朝夫さんと同時期にお付き合いが始まっていた坂本浩二窯の浩二さん。


おちょこ
(その頃、浩二窯では父の坂本一雄さんが現役でまだバンバンろくろを回していた。懐かしい景色だ。)



そして、まだお付き合いが始まっていなかった坂本工窯の工さん。
他、数名。


乾杯、乾杯、と蕎麦茶屋の瓶ビールを景気良く空けているうちに、
店のビールの在庫が尽きてしまった。


すると、
店にあったのだったか、誰かが家に取りに行ったのだったか、
覚えていないのだけど、
焼酎と日本酒が出てきた。


どっちを飲もうかな、と思っていたら、
どっちも出てきた。笑


みんな、どっちも飲んでいる。

初めて飲む小鹿田の陶工たちは、
はっきり言って気が狂っている、と思った。


焼酎も日本酒も、まるでビールと同じように、同じようなペースで飲む。

誰かが、日田にはサッポロビールの工場もあるし、
いいちこの工場もあるし、
日本酒の酒造もある、と言っていたが、
だからってそういう飲み方をするのか…と思いつつ、

飲めない方じゃないから、どんどん付き合っていくと、
完全に出来上がっていた。


覚えているのは、
そこからまたビールを飲んだことだ。


レンタカーで行かないから、
どの産地でも酒が出てきたら遠慮なく頂いてきたけれど、
小鹿田のこの飲み方にはすっかり驚いた。



ポジティブに解釈するならば、
小鹿田の人たちの徳利(とっくり)やおちょこが酒飲みに好かれるのも、
焼酎コップが大ぶりでやはりこれまた酒飲みに好かれるのも、
本人たちがよく飲むからであろう。


あれから10年以上経って、
今も変わらず小鹿田の陶工と飲んでいるけれど、
坂本創くんや坂本拓磨くんら若手がやはりおかしな飲み方をしているので、
酒に強いことと、なんでも飲む事は、小鹿田の遺伝子なのだろうか。


陶工たちにとっては、
日常の、なんてことのない一夜だったろうけれど、
まだ小鹿田と付き合いの浅かった僕にとっては忘れられない夜となった。

おちょこ
(その後も行くと朝夫さんと昼の蕎麦茶屋でビールを飲み交わすのが恒例となった。嬉しい思い出。)